現像、プリセット、苦悩

被写体さんに被写体さんってどうやって探すの?と聞いたりして迷走してる私です。こんにちは。

先日撮影の時に、「写真納品が他の人と比べて異常に早いんですが、どうやってるんですか」と被写体さんに聞かれたので、その時説明したことを残していこうかなと思いまする。

結論から言うと「プリセットを作ってます」です。めっちゃ簡単な話がインスタのフィルターみたいなワンクリックで思った色味や雰囲気になるモノを作っていますと言う超安直な答えになります。多くのカメラマンがこのプリセットを他人から購入、または自分で作って使用しているはずなので、その条件は同じかなーと思っています。(カメラマン友達いないので知らないですが涙)

ここで終わるとそれだけなんで、じゃぁプリセットってどう作るの?と言う話になるのですが、LightroomやC1という現像ソフトがあります。これで各所の数値を変更することで写真の色味や雰囲気にアプローチしていきます。

同じソフトを使えば同じ色味になるの?と思われるかもしれませんが、この現像パラメーターは、Lightroomを基準に考えても操作できる部分は無限です。現像した色の上からさらに色を足したり引いたり、粒子を乗せたり、現像したことない人がこのLightroomを見て極めていくとすると頭禿げる可能性すらある、とんでもなく奥深い知識とスキルが必要とされます。

知識の差に濃度はあれ、みんなこういう現像ソフトを使う訳なんですが、たまにカメラマンの人でも現像難民になることがあります。それもそのはず前述したように、写真を無限に変化できるので、明確なゴールや知識のない人が触ると写真がどんどん破綻していったり、そもそも狙っている色味にならない場合が多数です。

じゃぁプリセット買ってしまったら好きな写真家さんの色味になるし、楽よね!となりそうですが、そうは問屋が卸さない状態です。

まず、カメラが書き出す写真データというのは、カメラメーカー・機種・センサーサイズ・エンジン・レンズ・フィルター・環境・緯度経度など物理的なことや地理的なことでも作用し同一なものは存在しないです。天候もそうですし、僕らなんかでいうと被写体さんの肌によっても違いが出るだけです。

プリセットは決まったパラメーターをその写真データを考慮せずに一律で動かします。そうすればどうなるかわかりますよね。買ったプリセットはその写真家さんのカメラやレンズなどが完全にマッチしないと効果を100%で発揮しないわけです。もちろんメーカーや機種が違っても赤色は赤色です。でも同じ赤ではないんですよね。それが少しのズレであっても、ズレが全体に誘うして全く別の色味になったりもします。概ね似たような色味になるんですが、色は不思議なもので少しの変化で好きな色から嫌いな色へと変わるものです。

逆に自分で作る方なんですが、どうやってるの?と聞かれたら、「写真データから作る」が僕の方法です。長くやっているので、カメラやレンズめちゃくちゃ置き換わっています。なので、昔使っていたプリセットは全部ゴミになっています。

今自分で一番だと思えるレンズやカメラを決めてしまって、それでまずテストを繰り返します。被写体さんにお願いすることもありますし、自分をとりあえず三脚立てて撮ることもあります。天候は晴れや曇り、室内、室外でいろんなパターンをできるだけ多く撮って、どの場面でも高いポテンシャルが出るように調整を繰り返します。時には天候や室内室外でプリセットを個別に作ることも割り切って必要かと思います。

僕の場合は、1つのプリセットを全環境で使えるように、外と中でカメラ別のものにすることに決めました。レンズもそうですね。色々散財して選んで選んだレンズを数本だけ使い続けることにしています。要するに写真の色味が安定しない要素である機材だけは変更しないようにしています。新しいカメラが出た!新しいレンズが出た!にはあまり興味ないのはそのせいですね。

今の自分のプリセットはもうどれだけだろう・・・何百時間では収まらない気がしますが、膨大な時間をかけて過去の写真やテストを繰り返して調整したものです。色味や質感へのこだわりとレンズの特性からくる不安定さを留めるのに想像を絶する時間がかかりました。室内のエロ系のプリセットも最近完成しましたが、寝る間も惜しんで調整しまくった記憶があります。

もしかしたら、たくさん買ってどれかはいい感じに現像できるよねという考えも全然ありだと思います。自分で作るのとか正直いえば非生産的です。時間も金も吹き飛びます。

作る理由は2つ。自己の表現に必要だからです。僕の好きな色味、雰囲気、質感、言うなれば僕の世界のためには必ず僕がコントロールして満足のいくものが必要になるからです。もう1つが被写体さんへの感謝です。その世界に対して人生の貴重な時間を割いてくださるので、こっちも満足がいったと言えるぐらい頑張らないといけないよなぁ・・・という感じです。

文字にしちゃうと陳腐なんですが、この写真の現像・プリセットって本当に悩みの種子なんですよね。ここがうまくいかないからカメラを変えて、レンズを変えて、お金も時間も浪費していく。僕がおすすめするのが、写真家さんでガチで好きな写真を撮っていてプリセットを販売しているなら、その人と同じ機材を揃えてプリセットを買うのが幸せかと思います。作る労力と時間を撮る方に使ったほうが健全かと。僕は好きだからやってますがね。

現像の速さの原因は「プリセット」なんですが、プリセットを使えばすぐ出来上がるというわけでもなくて、1枚1枚調整は必要です。プリセットはあくまで理想系になるまでの「近道」なので結局は調整必須なんですが、8割型それで完成するので速さに繋がるわけです。

あとはマインドの違いが大きいかと思っていて、僕は「鉄は熱いうちに打て」派です。できたら撮影した当日に1枚は必ず現像して満足のいく状態にして、次の日からも現像している期間だというマインドにしています。後でいいやーとか次の案件終わってから一緒にやろうとか思っていると、まぁまず遅くなるかやらなくなってしまうのは想像がやすいのでやってるわけなんですが、たまに「現像が溜まってて」みたいな人もいるので、撮る回数が多すぎるのかなぁと思っています。これは仕方ないですよね。

被写体さんとの話の中で、当日に数枚きてその後全くきてなくて言いにくいみたいなケースも聞いたので、マインド的に夏休みの宿題最後にやると言いつつ結局やらないタイプの人なんだろうなぁとおもてます。

ポートレートというのは、趣味ですが、労働に近いものがあります。その対価が写真で結局はそれ早くいただきたいという気持ちが大前提かなと思います。なんで最低でもその月の中では振込いただきたいですよね(

ゴールはどこだろう

写真をやっていると、ゴールはどこだろう。そんなことをふと気の抜けた瞬間に思うようになってきました。先日、被写体募集無限列車編を投稿したのが1つのゴールかと言われれば、そんなきもしますが実際はどうなんだろう。

写真を趣味にするとして実はこのゴールって非常に難しい、目的も同じく難しいものになります。例えば僕が掲げている「10年先に見ても良いと思える写真」を撮りたいというコンセプトなんですが、これって今の僕の写真はもしかしたら当てはまってないかもしれないと思っています。

想像の域になるのですが、こと現像において結構特徴的な現像をしてます。できただけ破綻が少なくブレがないように作り込んでいますが、ある意味一貫性はあるのですが面白みがあるかと言われれば、いつもの僕という感覚です。

そういえば、昔「写真を見ただけで、あ!こいつやな」と思われるようになりたいと思っていました。結構できてるんじゃない?と最近は思っています。そもそもそんな露出してないのですが、僕の写真と他人の写真の違いが大きくなっているように思えます。

話を戻しますが、10年後見てもいい写真じゃない可能性があるというのは、この現像や今の極めた顔やポーズでの撮影です。想像するに昔を懐かしんで見るような写真、もっと気の抜けた友達と遊んでるような写真や疲れて爆寝してるような、ストレスでバカ喰いしてますみたいな空間での写真の方が、実は10年後見ても良い思い出なんだろうなと思っています。わかりやすいのが動画ですよね。シネマティックムービーみたいなものが流行っていますが、これ10年後に見ても恥ずかしい可能性があるなぁと思っています。ホームビデオでお父さんが撮ってくれた動画の方が本質的には色褪せないものという感覚です。

フォロワーの数、認知の数、それらを得ることは大切なんですが、僕らアマチュアにすれば、それを持っていても正直意味はなく、なんのためにそれらが必要なのかという目的がないと意味さらにない状態です。例えば本を出版したいやプロになりたいみたいな方は大いに意味のあることでしょう。では、僕はどうなんだろう。写真で稼ぎたい訳でも、本を出したい訳でもない。フォロワーはいる?いらない?自己顕示欲のため?

どれもしっくりこないです。ただ、漠然と写真とそこに映る人々が好きだから撮っている。でもそれってスマフォでもいいですよね。今はとんでもなく綺麗に撮れます。機材だけで数百万動かして生活切り詰めて、睡眠時間削って現像の練習してみたいなそこまでする必要が「それだけ」が理由ならあまり意味をなしてないなと。

でも撮り続けている訳なんで、理由や目的はたまたゴールが自分ではわかってないだけであるのかもしれません。もしかしたら無いということが悲しくて情けなくて見えないふりしているだけかもしれません。

いつか、ゴールした!って言いたいものですね。

魂の被写体募集(無限列車版)

おはこんばんちわ。明日にも消えてるかもしれないカメラマン谷口です。

 

さて、今回は半永久的に被写体募集していく無限列車編です。

 

無限ってどういうことじゃと。端的に僕という個人がポートレートやグラビア・ヌード撮影を止めるまでです。被写体募集たくさん今までしてきました。XやInstagramで吐きそうなほど、募集してちょこちょこ合致して撮影に行かせていただくこれがループしてます。

ただ、今回の被写体さん募集は、究極的に「僕が撮りたいもの」かつ「死ぬまでにできたらいいや」という案件です。Instagramでこの募集しても多分温度感違うので、いっさい反応はもらったことないですが(笑)、書きしめておこうかと思います。

 

以下条件になります。

・僕の写真(世界)が好きな人

・半端じゃなく写真が好きな人

・”今”を残すことに意義を見出せる人

・写真に対して何か削れる人

・人生の一部を切り分けてくれる人

ポートレートもやります

・グラビアもやります

・ヌードもエログロもやります

撮り続けます

・僕が撮りたいと思える方(惚れ込める)

・近い方(兵庫西側限定)

 

細かいものはもっとありますが、書ききれないので割愛しますが、「僕の写真(世界)を好きになってくれる人で、死ぬほど撮ってもいい、全て撮ってもいい」という方です。ええええわかってます。かなーり無理強いです。

これに関しては、インスタグラムに投稿するしないはどうでもいいです。完成系は1つのフォトブックになればいいかなと思っています。長い年月四季折々、裏も表も被写体さんを作品として全て記録するそんな案件です。

 

写真などが好きなのを条件にしてるのは優先度の話になります。やっぱり私生活が大切ですよね?僕もそうです。でも好きなことならどうでしょうか?漫画やアニメ見る時間は楽しいですよね?勉強より優先してしまいますよね。そういうことです。写真を楽しいと思える人と同じ温度感でやっていきたいとの考えからです。

期間は最低1年、4月スタートなら桜ポートレートから始めて桜ポートレートで終わるぐらいのノリです。ポトレとエロの割合は5対5です。ええええわかってますこれもハードですよね。だからこそ人生を切り取っていただける方と記載しました。そもそも僕の写真にその価値があるかと言われると僕からは無いと申し上げます。それでも価値を感じてくれる人が1人でもいたら、この人生は勝ちかなと思っています。

元々撮っている被写体さんに声はかけないの?という当然の疑問もあると思います。でもこの濃度で撮影をできる人というのは正直覚えがありません。僕は無名ですし、実力が突出しているわけでもないただの自分のファインダーの中が好きな人です。逆にこれを持っていくと失礼にも当たるぐらいだと思っています。1人もし近かったら同じ温度感で当たってくれそうで、距離さえ近ければ土下座してでもお願いした人もいるのですが、距離ってやっぱり重要ですよね。平日動くとか特に。

それなりに活動してきてこの案件をお願いしたい人というのは、実はいます。でも熟考した上で、それは叶わないと思って募集という形をとっています。想像してみてください。「写真が好き」という事実よりも大切なことは多いですよね。家族や交際相手のこと、他の趣味のこと、

じゃぁこの募集自体意味なくね?と思われそうですが、僕もそう思います(笑)おそらく99%の確率でないと思っています。これは強がりとかワンチャンあるだろうとかもなく本心です。では、なぜこんなものをポストするのかといえば、「夢あってもいいでしょう?」という漠然とした理由からです。

そもそも僕が撮りたいと思える人って何様やねん状態です。はい。でも、それぐらいこの案件には僕の意思と希望が込められて折れれない部分だということで、ここを折るぐらいであればやる意味や意義がないものになります。

だから、正直置いておくだけの募集になってしまうのですが、僕みたいな弱小カメラマンでもこのぐらい激しい想いがあるということで理解いただければ幸いです。でも、今僕がこの募集を文字列として記載したのは、「僕が今一番理想的な写真を残せる状態」ということに杞憂してます。

自分の信用できるカメラ・レンズ、自分が理想とするポートレート、エロの色見・雰囲気、全てが自分の中で100点でこれ以上ないと思っています。他のカメラさんと比べるとイヤイヤ、レベル低いっすと言われても僕が理想とする終着点はここです。

つらつらと書きましたが、僕の中でも意思だけが先行してるだけなんで、叶うはずのない夢を置いておきますw

誕生日。

日付の感覚なくて、毎回誕生日をLINEに教えてもらう僕です。誕生日だー!って祝ってもらうことも無くなってはや何年も経ってますが、節目ということで。

 

偶然だと思うのですが、誕生日の前夜にポートレートとグラビア、ヌードの僕のスタイルが苦節何年だろう、やっと満足のいくものができました。

 

まぁ申し訳ないのが他のカメラさんみたいにスタジオ借りたり、小粋な場所知ってたりしてやってるわけじゃないので撮る場所もあんまり変わらないのですが、いつまで経ってもエロ系の撮影が難しく感じてトライアンドエラーを繰り返して悩んで悩んで現像を定期的に昔の写真も掘り起こして試してたりしてました。

 

ポートレートは撮る機会もそれなりに多くて、好きな色味、好きな雰囲気、好きな描写、好きなセンサーサイズは、一年ぐらい前に確立できた。それから変化は特別させてない。

 

エロに関しては、「僕なりのエロ」を作り上げることが難しかった。ソフトフィルター入れてみたり、カメラ変更してみたり、試行錯誤の日々。完成してるポートレート風に撮って逃げたりして、99点はあるけど100点ではない日々を過ごしてました。

 

あらかじめ、いろんなレンズとカメラで自分の手足(女性の肌と過程して)を撮って現像して、さらにそれを過去の作品に当てはめて、よしこれでいけそうというパターンを最終的に7つ作って、今回は撮影に挑んだわけです。自分の肌が調整のベースなので、もちろん色が合わないのはわかってるのでその調整分ですね。

 

すると苦労の甲斐あってか、自分が一番撮りたかったであろう写真になりました。最早修行にも近い苦悩の日々でしたが、ここにて完結です。

 

写真に関しては、思い返せば苦悩の連続で、機材を変えれば変わるんじゃないかと思って、生活切り詰めて自分の身丈以上のカメラやレンズを買ったり、現像も同じ写真を何度も何度も現像もし直したり、、、その旅路で機材なんて何でもいいと思えたり、やっぱり100点以上目指すなら機材は拘らないとと考えを変えたり。

 

そもそもエロを撮る必要あるんだろうか。ポートレートで好きなことできてるんだからそれを進めるべきでは?と思ったり、本当に色々な葛藤とジレンマばかりの世界。

 

基本的には、写真は楽しければいいよ、自分が満足すればいいねんと結構ラフなニュアンスで伝えることが多いですが、自分が満足するって実はとんでもなく難しいことで、ほんまはめちゃくちゃ写真に対して真剣だったのかも、めっちゃ適当人間の割に。

 

まぁスタイルが確定して1番の問題は、ポートレートの完成の時もそうだったんですが、「撮らなくなる」ということです。以前も燃え尽き症候群というかやり切った感があって、しばらく撮らなくなってたんですよね。今回もそれになる可能性は大。

 

でもいいんです。極端な話こんだけ頑張ったんだから、撮る人も僕がいいなと思える人しか僕の写真の世界にいなくてもいいんだろうと。誰でも彼でもいいなんて、さらに少なくなる感覚になっていってもいいのでは。

 

グラビア、ヌードはポートレートの裏側です。ポートレートを撮っているうちに、この方の裏まで撮りたいと思うのがキッカケでした。それはその人の今を残したいとか、もっと美しい姿を見たいとかガッツリ下心もありますが、それも結局は一種の写真への恋心です。

 

撮ることは非常に難しいです。被写体さんのリスクやカメラマンのリスク、数えキレない負の部分があります。美しいから撮りたいからという理由だけで、本来手が出せる領域ではない。被写体さんの理解と趣向がカメラマンと一致して初めて撮影になる分野なので、僕が今回完成した!と豪語してもじゃぁ撮れるの?と言われればほぼ撮れないし撮りたいです!とお願いする人も限られる。

 

ここ最近は、新規で被写体さんをお願いすることもかなり少なくなってきて、インスタの改悪からは募集しても依頼自体も無くなって、募集することすらしてない日々が続いているので、ぶっちゃけ僕は消えていく方のカメラマンだと理解してます。今から始める人よりも僕が今後も撮影を続けていく方が難しい時代です。

 

写真は仕事のツールでした。若い時に魔が刺してポートレートをスタートして友達もいない僕は、綺麗なもの撮れるし女の子と仲良くなれるし、いーじゃんみたいな。そんなくだらない始まりだった気がします。いつのまにか写真集を買ったり、バカ高いレンズやカメラに手を出して、睡眠時間削って現像してなんて写真に対して向き合う、そして写真をバカにされたら怒れるみたいなそんな状況にまでのめり込むなんて夢にも思ってなかったでしょう。

 

日々状況が変化していく中で、いつかは消える一人のカメラマンです。それでも好きですと言ってくださる人も今はいるし、それに応えたい思いもまだ消えていない。来年消えちゃってる人だとしても今は全力疾走まだできるかなと、誕生日にぼやーと考えています。

 

たまーに被写体さんからヌード撮影やった後に周りから何で脱ぐの?何で脱いだの?とかいられたーというエピソードを教えてもらったりします。すっごいわかる気持ちです。でも、エロを撮ることに価値がないと言われると、少し不満顔してしまう自分です。

 

もちろんポートレートだけを推し進めていたら、おそらく僕はもっと伸びた気がします。ポートレートの人と印象でクリーンな写真ばかりを投稿して、そういうブランディングができていたら、もっと違う姿になっていたでしょう。

 

エロを撮る人というだけで警戒心はレッドゾーンぶち抜きます。僕が被写体さんの立場ならそういう人をあえて選ぶことはないかなと想像してます。それでもやっぱり撮ることをやめてない、作ることをやめてないのは、好きだから以上に何かあるのでしょう。

 

余談ですが、僕の写真人生は凛という少女が基盤であり、根源であり、守るべきものでもあり、世界の相棒でもあります。彼女は非常に高いスペックを、持っていて数年前の僕の世界においては異次元でした。僕の世界においては、スペックが高すぎてモノクロTVの世界に8K対応の被写体さんが写ってる感覚でした。そこからですね、なんとかこの人を一番いい姿で撮れないのかと悩み続けていろんな試行錯誤が生まれたのは。言葉にすると陳腐ですが、使えるものを全て投入して「本気」で写真に向き合う必要があった。幸いにもいつの間にやら専属パートナーとして僕の世界に干渉してくれる存在としていてくれて、何年間も撮り続けることができました。自分のスタイルの確立、写真への向き合い方、被写体さんへの対応、人間としての感情、全ておんぶに抱っこですが、作っていただけたように思います。昔ひどい時なんて10弱のパターンで現像送りつけてどれがいいと思う?みたいなハードなことさせていましたすみません。なぜこの話を出したかというと、僕はたぶん凛という被写体さんが被写体をやめたらスパッと辞めるだろうと何となーく確信めいたものがあります。写真は好きだし、写真が好きな人も好きだけど、写真って一人で撮るんだけど一人じゃ楽しくないんですよね。たぶん僕の感覚やと自分の写真という世界観に好きな人が存在しないと成立しないそんな感じがあるんだと思います。要するに仲間の存在はありがたいもので、今はそう思える人もちらほらありがたい事にいるようになったので、スパッとやめ切れるか悩みそうですが、もし続けたとしても、全部のアカウントを消してひっそりどこかでやる程度になると思います。

 

さて、今回は自分へのプレゼント「僕なりのエロ」が完成したので、僕の誕生日はこれ以上ないほど満足です。もしかしたら明日にはもうエロは撮らん!と思ってるかもしれないあやふやな自分ですが、残り少ないカメラマン人生を燃やしていければなと思います。

 

 

Special thanks

カメラマンと被写体の価値

 

今日は、ストーリーでこんなアンケートをさせていただきました。有償・無償の話に関係している話題なんですが、カメラマンと被写体のお互いの価値とは?という話です。結構ここのバランスが違うというか割れているということは、予想を裏切ってきた結果でした。

それもそのはず、そもそもここの感覚がずれているとトラブルの原因になり得ますよね。

僕の中での回答も一応あって、「写真」「ビジュアル」になります。あ、お前なら人間って言いそうなもんなのに、いつも人対人じゃんって言ってるのに!と怒られそうですが、今回は提供できる価値という話です。価値はすなわち濃度の差はあれ、人が手に取る、お金や時間をかけても手にしたいものという値です。

カメラマンの価値で一番集まった「人間」ですが、これは広く人間性と捉えています。人間と答えた方は、カメラマンであれば写真よりも人間性を売りにしてる人と僕は解釈します。正直いいことであると思います。人間的にできている人それだけで世界は平和ですよね。でもちょっとだけ考えてみたのが、人間が良いだけで他人は価値としてお金を払ったりしますでしょうか。僕らカメラマンが提供するのは人の良さでしょうか。

そういう意味も含めて、僕らが被写体さんやクライアントに全力で価値を訴えかけられるのは、「写真」だと僕は思っています。

次に被写体側ですが、こちらも「人間」が多かったです。僕は「ビジュ」で回答してますが、人間が大切じゃないかどうかと言われればめっちゃ大切です(笑)楽しく撮影できないと次は依頼受けないと思います。ただ、こちらも価値の話であればやっぱり「ビジュ」かなと思います。僕自身は相互無償でばっかり撮影をしてますが、もし撮りたい作品が固まって、それに合致するビジュを持つ有償被写体さんがいるのであれば間違いなく費用を捻出すると思います。

もちろん理想論で言えば「人間」「人間」かもしれません。特に一度目ではなく二度三度目の撮影であれば、人間的な好みが特に発生しやすく最初は、僕のような回答でも変化していくのは容易に想像できます。

ただ、根底を履き違えてしまうとちょっとあらぬ方向に活動が行ってしまうので、皆様に聞きつつ僕なりの確証を持っていけたらと思っての投稿でした。結局は何にプライドを持って活動できるかだけの話なんですが、カメラマンであればやっぱり写真、被写体であればビジュこれは切りたくても切れない価値になると思います。また、時間を売るという考え方もビジネスライクで好きです。

余談ですが、うちのパートナー被写体さんに聞いたら「人間」「人間」でした。なんとまぁ綺麗な答えと思ったんですが、僕も彼女に聞かれて回答するなら「人間」「人間」になると思いました。なんで、アンケートとった割に想像する対象が変わると答えが変わるというあんまり意味のないアンケートだったのかもしれません。ぶっちゃけ回数重ねると根底の価値が担保されているので、その他の価値が見えてくるのかもしれません。

最近は、相互無償の話題が持ちきりで、カメラマンとしての価値はどこにあるんだろうかと考えての行動だったのですが、もしかすると今から撮る撮影でお互い求めている価値が違うのであれば、しんどい撮影になるかもみたいなこともあるかもしれません。価値と目的は表裏一体です。

実はこのアンケートでもしかしたら、同じ価値観でいる人が撮りやすい説みたいなものが提唱できたら〜と思っていたのですが、僕と同じ結果の人は1人しかいませんでした(笑)この説は無かったことにしましょう!

PS.追加あって3人になったよ!やったね(涙

男撮ってる人本当に見ないな^^

投稿者: @kouta_sakamoto11
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何が言いたいかというと煽り顔文字もあるので、カメラマンで女性ばっか撮ってるやつは下心あるでしょと言いたいのだと思います。

正直、当たり前なんで論ずることでもないんですが、下心しかないわボケと。

誰が高いカメラ買って野郎とるんだよ。と声を大にして言いたい。

そもそもカメラマンは男性が多いです。女性は男性モデルさんも撮ってるのよく見ますよね。でも男性カメラマン(趣味)は9割以上が女性だけを撮っています。

Why?ともならんのですが、僕ら男性は女性を「美しいもの」「儚いもの」として捉える存在です。人類が生まれてから変わらないです。だから美しいものを撮ろうとすると必ず女性になります。

じゃぁ絶対男とらんのか貴様!と言われたら僕は、めっっっっっちゃカッコいいとか憧れる男性なら撮りたい。具体的にいうと自分のおじいちゃんとか。でも、その格好いいとかのハードル高すぎで女性に向ける感情よりも気薄なのはあります。

他に誰撮りたいかな。実は男性も撮ってたりしてたんですよね。まぁ仕事でですが。僕が撮る立場でない仕事でも色々男性モデルさんとの絡みもあったんですが、偏見が少しあったりします。「この人モデルしてるって言いたいだけ」みたいなウェーイな人も多くオーディションに来たりして、マジでどつこうかなと思ったことも多々。

それを抜きにしても、やっぱあえて「美」を持ち合わせている性別の方よりも「美」を持たない人が多い性別の方をあえて選んで撮るっていうものないかなと思います。あと全く撮りたい美しさと違うのよね男性って。

相互無償が話題

最初は、threadsってわけわからん思想の人のTLが無理くり流れてくるから嫌だなぁと思ってたんですが、最近はちょっと面白い話もちょこちょこあるんで、暇つぶしにはいい気がしてます。

threadsでちょっと話題になっているワードが「相互無償」です。相互無償は簡単にいうと、カメラマンに依頼する場合でも被写体に依頼する場合でもお互いにモデル料や撮影費用が発生しないことを言います。

前提として置いておきたい言葉は「カメラマンも被写体も人」ということです。

投稿者: @nait__photo
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なるほど、なるほどカメラマンってお金かかりますよね。相互無償と言っても箱代とかはやっぱりカメラマン持ちですし、カメラ・レンズにお金がかかるのはもちろん、ライティング機材やその他機材も高額なものが非常に多いです。

ちょっと気になるのが、「納品が終わったらあっさり連絡してこなくなる人も多いし…」ですね。

投稿者: @naosan_s
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煽るような文章ですが、気になるのは「友達と割り勘で飲みに行くのと同じです」という感覚ですかね。

投稿者: @1009gyy
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ごめんなさい。僕手土産もらったことしかないです()

投稿者: @syasinto0518
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有償やったことないので、比較できないですが。ドタキャンは多いですよね。

 

まぁ適当に抜粋したんですが、どうでしょうか?僕の感覚やと見ていて気分のいいものではないということが一律です。

意外とポートレートは、シンプルな図式が立ちます。それがコスト価値です。コストというのは、カメラマンとしては機材です。被写体は美容代や服代です。価値はカメラマンは写真データ、被写体はビジュアル、両方では時間というものになるはずです。

相互無償というのは、コストを無視した場合の状況で、お互いコストはかかるよねしんどいよねでも好きなものにお金かけるのいいよねの精神です。ここで大切なのは、両方にコストが発生しているという事実です。カメラは普段から使うじゃんという人もいますが、その綺麗な髪やお顔は普段使わないのですか?使ってる時間としてはそちらの方が長いですよ?という論が立てれます。

では、なんでカメラマンって相互無償がやりにくいのでしょうか。それは母数の問題が1つ。圧倒的に被写体よりもカメラマンの方が多いです。特に田舎。もう1つがカメラマンの価値が被写体の価値よりも低くなっている現状です。

なんで!カメラマンの価値もわかってるよ!という方もいますが、そうは言っても事実カメラマンは安く見られることがほとんどです。そして、僕個人としてもカメラマン(趣味)の価値の方が低いと思っています。わかりやすいのが有償モデルさんを撮影するということは時間的拘束をお仕事として買うということですが、モデルさんは写真を求めますよね。金銭を払うことはないと思います。よくよく考えるとおかしいんですよね。カメラマンの価値は写真データのはず自分は金銭を得て、カメラマンとしての価値は無償提供ということになっているので、これが価値が低くなっているということが露見してます。

じゃぁやっぱり有償モデルで撮影するべきじゃんとなってしまうのですが、ケチなんでそれもなしです。よく思うのが相互無償を推奨している”カメラマン”は、ぶっちゃけケチか金がない癖に、写真が本当に好きな人と作品を作りたいとか、お金の関係じゃなくてアマチュア同士でレベルアップしたいとか色々いい理由つけてカッコよく見せようとしている傾向にあります。

僕はケチなんで、自分のカメラやレンズにクッソお金使ってますし、相互無償時の衣装とかもガンガンお金つぎ込むタイプです。写真データの価値を上げるためにケチなりにぶっ込んでるわけです。いい写真渡すから、ある程度頑張って!wという被写体さんに無理やり納得させてるわけです(オィ

有償の撮影なんですが、実は僕もお受けしています。家族写真や七五三とか原則僕が何も用意しなくてカメラ一本でいける撮影限定ですが、お金をいただいて撮影することがあります。確かにそういう時ってドタキャンとか時間に遅れたりしないなと思います。と言いつつ相互無償でドタキャンしたり遅れたりしたのって病気のときだけなんで、あんまり変わらないのですが、ちょっとだけマインドが違う。

いやいやお前相互無償しかやってねぇんだから無償で撮れよと言われそうです。まぁそうなんですよね。例えば僕もお世話になってる被写体さんのイベントなんかだったら別に無償で撮ります。でも、依頼されたものが別に撮りたくないものの場合は金銭が発生して然るべきかなと思います。

ここがミソだと思っていて、相互無償はお互いが撮りたいものが合致して初めて成立するわけなんですが、誰でもいいから撮りたい相互無償で!という文化が蔓延しているので、トラブルが起こりやすくなっている気がします。

なので結論「相互無償が云々というよりも、作りたいものが実は一致してない」が、本当のところかなと思っています。先のスレッドの内容を見ても、みんな自己中心的な発言だと思えないでしょうか。

お金は、カメラマンも被写体もかかります。労力もお互いかかります。どちらが優れていてというのも基本的にはないです。だって人間対人間なんで、クソもみそも一緒です。