誕生日。

日付の感覚なくて、毎回誕生日をLINEに教えてもらう僕です。誕生日だー!って祝ってもらうことも無くなってはや何年も経ってますが、節目ということで。

 

偶然だと思うのですが、誕生日の前夜にポートレートとグラビア、ヌードの僕のスタイルが苦節何年だろう、やっと満足のいくものができました。

 

まぁ申し訳ないのが他のカメラさんみたいにスタジオ借りたり、小粋な場所知ってたりしてやってるわけじゃないので撮る場所もあんまり変わらないのですが、いつまで経ってもエロ系の撮影が難しく感じてトライアンドエラーを繰り返して悩んで悩んで現像を定期的に昔の写真も掘り起こして試してたりしてました。

 

ポートレートは撮る機会もそれなりに多くて、好きな色味、好きな雰囲気、好きな描写、好きなセンサーサイズは、一年ぐらい前に確立できた。それから変化は特別させてない。

 

エロに関しては、「僕なりのエロ」を作り上げることが難しかった。ソフトフィルター入れてみたり、カメラ変更してみたり、試行錯誤の日々。完成してるポートレート風に撮って逃げたりして、99点はあるけど100点ではない日々を過ごしてました。

 

あらかじめ、いろんなレンズとカメラで自分の手足(女性の肌と過程して)を撮って現像して、さらにそれを過去の作品に当てはめて、よしこれでいけそうというパターンを最終的に7つ作って、今回は撮影に挑んだわけです。自分の肌が調整のベースなので、もちろん色が合わないのはわかってるのでその調整分ですね。

 

すると苦労の甲斐あってか、自分が一番撮りたかったであろう写真になりました。最早修行にも近い苦悩の日々でしたが、ここにて完結です。

 

写真に関しては、思い返せば苦悩の連続で、機材を変えれば変わるんじゃないかと思って、生活切り詰めて自分の身丈以上のカメラやレンズを買ったり、現像も同じ写真を何度も何度も現像もし直したり、、、その旅路で機材なんて何でもいいと思えたり、やっぱり100点以上目指すなら機材は拘らないとと考えを変えたり。

 

そもそもエロを撮る必要あるんだろうか。ポートレートで好きなことできてるんだからそれを進めるべきでは?と思ったり、本当に色々な葛藤とジレンマばかりの世界。

 

基本的には、写真は楽しければいいよ、自分が満足すればいいねんと結構ラフなニュアンスで伝えることが多いですが、自分が満足するって実はとんでもなく難しいことで、ほんまはめちゃくちゃ写真に対して真剣だったのかも、めっちゃ適当人間の割に。

 

まぁスタイルが確定して1番の問題は、ポートレートの完成の時もそうだったんですが、「撮らなくなる」ということです。以前も燃え尽き症候群というかやり切った感があって、しばらく撮らなくなってたんですよね。今回もそれになる可能性は大。

 

でもいいんです。極端な話こんだけ頑張ったんだから、撮る人も僕がいいなと思える人しか僕の写真の世界にいなくてもいいんだろうと。誰でも彼でもいいなんて、さらに少なくなる感覚になっていってもいいのでは。

 

グラビア、ヌードはポートレートの裏側です。ポートレートを撮っているうちに、この方の裏まで撮りたいと思うのがキッカケでした。それはその人の今を残したいとか、もっと美しい姿を見たいとかガッツリ下心もありますが、それも結局は一種の写真への恋心です。

 

撮ることは非常に難しいです。被写体さんのリスクやカメラマンのリスク、数えキレない負の部分があります。美しいから撮りたいからという理由だけで、本来手が出せる領域ではない。被写体さんの理解と趣向がカメラマンと一致して初めて撮影になる分野なので、僕が今回完成した!と豪語してもじゃぁ撮れるの?と言われればほぼ撮れないし撮りたいです!とお願いする人も限られる。

 

ここ最近は、新規で被写体さんをお願いすることもかなり少なくなってきて、インスタの改悪からは募集しても依頼自体も無くなって、募集することすらしてない日々が続いているので、ぶっちゃけ僕は消えていく方のカメラマンだと理解してます。今から始める人よりも僕が今後も撮影を続けていく方が難しい時代です。

 

写真は仕事のツールでした。若い時に魔が刺してポートレートをスタートして友達もいない僕は、綺麗なもの撮れるし女の子と仲良くなれるし、いーじゃんみたいな。そんなくだらない始まりだった気がします。いつのまにか写真集を買ったり、バカ高いレンズやカメラに手を出して、睡眠時間削って現像してなんて写真に対して向き合う、そして写真をバカにされたら怒れるみたいなそんな状況にまでのめり込むなんて夢にも思ってなかったでしょう。

 

日々状況が変化していく中で、いつかは消える一人のカメラマンです。それでも好きですと言ってくださる人も今はいるし、それに応えたい思いもまだ消えていない。来年消えちゃってる人だとしても今は全力疾走まだできるかなと、誕生日にぼやーと考えています。

 

たまーに被写体さんからヌード撮影やった後に周りから何で脱ぐの?何で脱いだの?とかいられたーというエピソードを教えてもらったりします。すっごいわかる気持ちです。でも、エロを撮ることに価値がないと言われると、少し不満顔してしまう自分です。

 

もちろんポートレートだけを推し進めていたら、おそらく僕はもっと伸びた気がします。ポートレートの人と印象でクリーンな写真ばかりを投稿して、そういうブランディングができていたら、もっと違う姿になっていたでしょう。

 

エロを撮る人というだけで警戒心はレッドゾーンぶち抜きます。僕が被写体さんの立場ならそういう人をあえて選ぶことはないかなと想像してます。それでもやっぱり撮ることをやめてない、作ることをやめてないのは、好きだから以上に何かあるのでしょう。

 

余談ですが、僕の写真人生は凛という少女が基盤であり、根源であり、守るべきものでもあり、世界の相棒でもあります。彼女は非常に高いスペックを、持っていて数年前の僕の世界においては異次元でした。僕の世界においては、スペックが高すぎてモノクロTVの世界に8K対応の被写体さんが写ってる感覚でした。そこからですね、なんとかこの人を一番いい姿で撮れないのかと悩み続けていろんな試行錯誤が生まれたのは。言葉にすると陳腐ですが、使えるものを全て投入して「本気」で写真に向き合う必要があった。幸いにもいつの間にやら専属パートナーとして僕の世界に干渉してくれる存在としていてくれて、何年間も撮り続けることができました。自分のスタイルの確立、写真への向き合い方、被写体さんへの対応、人間としての感情、全ておんぶに抱っこですが、作っていただけたように思います。昔ひどい時なんて10弱のパターンで現像送りつけてどれがいいと思う?みたいなハードなことさせていましたすみません。なぜこの話を出したかというと、僕はたぶん凛という被写体さんが被写体をやめたらスパッと辞めるだろうと何となーく確信めいたものがあります。写真は好きだし、写真が好きな人も好きだけど、写真って一人で撮るんだけど一人じゃ楽しくないんですよね。たぶん僕の感覚やと自分の写真という世界観に好きな人が存在しないと成立しないそんな感じがあるんだと思います。要するに仲間の存在はありがたいもので、今はそう思える人もちらほらありがたい事にいるようになったので、スパッとやめ切れるか悩みそうですが、もし続けたとしても、全部のアカウントを消してひっそりどこかでやる程度になると思います。

 

さて、今回は自分へのプレゼント「僕なりのエロ」が完成したので、僕の誕生日はこれ以上ないほど満足です。もしかしたら明日にはもうエロは撮らん!と思ってるかもしれないあやふやな自分ですが、残り少ないカメラマン人生を燃やしていければなと思います。

 

 

Special thanks